私と小鳥と鈴と

先日、部屋を片付けている時に随分前に購入した金子みすゞさんの短編詩集を見つけ、久しぶりに読んでみると改めて考えさせられる言葉が多いなあと思い、この場に書かせていただくことにしました。

「みんなちがって、みんないい」という言葉はきっと誰もが一度は聞いたことがあるでしょう。もし、金子みすゞさんのファンの方がいれば、今回の題で「このことについて書くんだろうな」とピンときた方もいるかと思いますが、このことについて書かせていただきます。(笑)

「みんなちがって、みんないい」という言葉は「私と小鳥と鈴と」の詩の中の一節になります。
少しでも気になった方はインターネットで調べてみると全文が見られますので是非ご覧ください。

私にできないことは私以外ができる、逆に私以外にできないことを私はできる、それに対して誰も妬んだり僻んだりするのではなく、自分や相手を卑下するのでもなく、過信するのでもない。ありのままの全てを受け入れて良いんだよ、ということを伝えているように感じる詩です。

人は大なり小なり社会というものを支え、社会に支えられて生きています。子どもたちにも子どもたちなりの社会があり、その社会の中で支え合って生活しています。それはどの年齢児においても同じことが言えます。赤ちゃんであろうと年長児であろうと、少なくとも保育園という社会の中でそれぞれに長所や短所、強みや弱みを持っています。職員も同じです。みんな違うことを受け入れ、目の前の誰かの為、見えない誰かの為に自分のできることをすることが繋がっていけば、これから訪れる新しい社会を力強く生きていけるのかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は小学生辺りから色の認識が苦手で(社会人になり、仕事に影響が出始めたことから検査をすると色弱ということが判明しました)、高校時代には両膝を手術して、そして今に至ります。その中で苦しむこともありましたが、自分に関わってくれた人たちがいてくれて支えてくれて、認めてくれたからこそ乗り越えることができたと思います。自分にできることは、こうした中でも自分にできることは何かを考え全力でそれをすることでした。やってもやらなくても周りの人は見ています。認めてもらいたくてやってきたわけではありませんでしたが、認めてもらえることは何歳の時でも嬉しいものです。ぜひ、子どもたちのどんな小さなことでも、その子なりの頑張りは声に出して褒めてあげて欲しいです。きっと、大きくなった時に苦しいことを乗り越えたり、自分の為だけでなく誰かの為に頑張れる人になるための基盤ができるのではないかと思います。

と、金子みすゞさんと併せてオリンピックやパラリンピックを見ていてとても心に感じるものが沢山あったので、ここに書かせていただきました。自分語りになってしまい申し訳ございません。(笑)

今、世界は新型コロナウイルスに翻弄されています。それはつばさ保育園でも同じで、感染予防の為、今までのようなクラスを跨ぐ活動も保護者の方に保育を見て頂いたり、参加して頂く機会も、約1年半なかなか作れていません。その中でも関わり合えるわずかな時間を大切にしながら、職員も子ども同士の繋がりをどうすれば持てるのかを一生懸命に考えながら保育に取り組んでいます。子どもたちの姿を見ていると、職員の姿を見て子どもたちも主体的に子ども同士が関り、その中に楽しみを見つけたり、自分の持っているものを活かして助け合ったりしている姿も見られます。
コロナ禍でも、コロナ禍だからこそなのか、子どもは大人や身近な子どもの姿を見て成長し、大人もそんな子どもの姿から刺激を受けて成長しているように感じます。